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日本各地の反射炉(近代化産業遺産群)
Four reverberating furnaces ( heritage of industrial modernization ) in Japan
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江戸時代の末期から明治維新にかけては、わが国は激動の時代でした。欧米では産業革命の一環として鉄製の大砲が登場しましたが、日本では鎖国のために青銅による大砲の段階で技術が停滞していました。そのような時に黒船来航時で象徴されるような混乱の中で、国防には諸外国に対抗する技術革新が必要になりました。そこで、幕府や有力な藩は、わずかなオランダ語の本などの知識を頼りにして、試行錯誤しながら射程距離の長い鉄製大砲や、大型の軍艦を建造することに邁進しました。そして燃料の熱をレンガ造りの壁や天井の面で、熱を反射させて炉内の温度を上げ、鉄を溶かす溶解炉の建造が可能となり、技術水準の差はあったものの、日本でも鉄製大砲の鋳造が可能となりました。
その代表が幕府による伊豆韮山の反射炉、有力藩では佐賀、薩摩、長州(萩)の反射炉でした。そして現在、これらの反射炉、近代黎明期の技術導入の歩みを物語る近代化産業遺産群として登録されています。 これらの反射炉の遺構は、現在は伊豆韮山と萩の耐火レンガ積み煙突、薩摩の基礎部分の重厚な石組み、日本で初めて鉄製大砲を鋳造した佐賀の反射炉の縮小復元模型などとして残っています。
各々の反射炉の建造には日本を守ろうとして、苦難に立ち向かった藩主、武士、技術者や町民などの人々の熱気が、訪れる人々に今も確かに伝わってきます。(潮 信輔)
- 登録日
- 2020年01月09日
- 更新日
- 2020年01月09日 19時 22分