名所旧跡:No.130 島原城 (歴史を感じる)
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安土桃山時代の築城様式を取り入れた荘厳な城
元和2年(1616)に大和五条二見から日之江城主として入封した松倉豊後守重政は、城の位置が南に偏っているため、日之江・原両城を廃城にして、元和4年(1618)から7年余の歳月を費やして、寛永元年(1624)に島原城を完成させました。
安土桃山期の築城様式を取り入れた城は、大小16の櫓を要所に配し、その中心には壮麗な五層天守閣が鎮座するといった構造で、4万石の大名にしては過分の城だったのかもしれません。
城がある場所が元々「森岳」と呼ばれた小高い丘だったので、別名を森岳城とも呼ばれていました。
島原の乱の後に、高力氏、松平氏、戸田氏、そしてまた松平氏が受け継ぎ、以後松平氏が8代続いて明治に至りました。
天守復元に至るまで
名城島原城も明治を迎え、明治7年(1874)に廃城。立ち木一本に至るまで民間に払い下げられ、売却されてしまいました。
島原の乱でも戦火を免れ、寛政の大地変でも倒壊を免れた天守閣も、2年後の明治9年(1876)には解体。その後本丸は畑地となり天守台のみが残り、三の丸は学校用地になりました。
時は流れ昭和39年(1964)に天守閣と櫓が復元され、今日に至っています。
現在、城内の建物は資料館として利用されています。
・キリシタン史料館(天守閣)
・北村西望記念館(巽の櫓)
・民具資料館(丑寅の櫓)
なかでもキリシタン史料館は、有名なキリシタン大名有馬晴信(ドン・プロタシオ)時代に盛んであった南蛮貿易時代から、宣教時代・禁教時代・弾圧時代と続き、島原の乱関連の資料が展示されています。
名 称/島原城
所在地/長崎県島原市城内