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テーマ別おすすめ画像
小田原城の天守閣と石垣

小田原城の天守閣と石垣

小田原城の天守閣
小田原城址の天守閣と石垣
小田原城址の天守閣と石垣
小田原城址の天守閣を支える石垣
小田原城址の案内図


小田原城の天守閣
松と小田原城の天守閣
小田原城の天守閣
樹木と小田原城の天守閣
小田原城の天守閣
小田原城の天守閣
小田原城址の天守閣
小田原城の天守閣と石垣
小田原城址の天守閣
小田原城址の天守閣
小田原城址の天守閣
小田原城址の天守閣入り口


小田原城の天守閣からの眺め
天守閣からみた太平洋
天守閣からの眺め
小田原城址の天守閣から望む市街地と相模湾
小田原城址の天守閣から望む市街地と相模湾
小田原城址の天守閣から望む相模湾
小田原城址の天守閣から望む小田原市街地
伊豆半島の標識
天守閣からの眺め
天守閣からの眺め
小田原城址の天守閣から望む箱根方面の標識
小田原城址の天守閣から望む箱根方面
三浦半島の標識
天守閣からの眺め


小田原城の石垣
小田原城址の天守閣を支える石垣
小田原城址の古い石垣
小田原城址の古い石垣
小田原城址の古い岩
小田原城址の天守閣を支える石垣
小田原城址の古い石垣
小田原城址の苔むす石垣

静止画は以上です。ここからは動画にてお楽しみください。
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伊豆半島の傍にあり相模湾に面した小田原は、中世から戦国時代にかけて城や砦が築かれてきました。そして1500年頃に、戦国大名の小田原北条氏が居城としてから、しだいに拡張整備され、日本最大の中世城郭に発展。名実ともに、関東支配の中心拠点へ・・・。江戸幕府になってからも、箱根を控えた関東地方の防御の役目を果たして来ました。
その後、小田原城の天守閣にも変遷があります。1703年の大地震で、小田原城のほとんどの建物は倒壊。3年後には天守閣が再建され、以後、明治3年の廃城まで、天守閣は小田原のシンボルでした。現在の天守閣は、続き櫓付きの複合三重式で、1960年に復元されたものです。
この天守閣を支える石垣は高くて、幅広く、歴史の重みを語っています。そして海抜約70メートルの最上層からは、太平洋につながる相模湾が一望でき、伊豆半島や三浦半島を見渡すことができました。また山側を望めば、雲や霧がたなびく箱根や丹沢の山並みが、どっしりと控えていました。(潮 信輔)
- 登録日
- 2012年03月05日
- 更新日
- 2019年10月28日 15時 30分