名所旧跡:No.105 玉門関址(シルクロード) (亜細亜の名所)
再生にはFlash Playerが必要です。
「玉門関址(シルクロード)」の動画
シルクロードの西域南道への関所「玉門関」
敦煌の西100kmに、漢の時代に置かれたシルクロードの西域南道への関所「玉門関」があります。古来は西域北道の関所でもありましたが、清の時代からは敦煌の東北110kmの安西(あんせい)から交通するようになり、西域南道のみの門戸となりました。
「玉門関」の名前は、新疆ウイグル自治区のホータンで産出された「玉石」がここを通って中国に入ってきたことに由来しています。
ここはその名が示すとおり「関所」であると同時に、西域からの侵略を防ぐ重要な軍事拠点でもあり、往時には2万を超える兵士が駐屯していたそうです。
周囲には、玉門関を守る屯田兵たちの食物倉庫だった河倉故城、砂と石と葦で築かれた漢代長城遺跡や、狼煙台と共に、古代シルクロードの盛衰が偲ばれるものが残っています。
荒涼地にそびえ立つ関所
「玉門関」は一見石造りに見えますが、実は土を突き固めて作られた物で、幅25m、高さが10m程の真四角な造りで、西側と北側に入り口があります。
ここ「玉門関」から西に延びる長さ50km、幅7mの古道では、かつてシルクロードを往来した人々の足跡がかすかに見分けられると聞きました。
しかしこの関所を629年、国禁を犯し、遠くインドの地へ教学を学びに旅立ったといわれた人物がいました。西遊記で知られる三蔵法師(玄奘三蔵)一行です。が、しかし、「玉門関」の官吏の目を避けるように迂回して旅立ったとも考えられており、そちらの方が肯けますね。
名 称/玉門関址(ぎょくもんかんあと)
所在地/中華人民共和国・甘粛省敦煌市