名所旧跡:No.112 聖福寺 (歴史を感じる)
建久6年(1195)に禅宗の祖・栄西禅師により開かれた我が国に現存する最古の禅寺。臨済宗妙心寺派。山号は安国山(通称で安山)。寺号は聖福至仁禅寺。源頼朝を開基として、宋人が建立した博多居住の百堂跡に創建された臨済宗の寺院で、当初は建仁寺派に属していたものの、黒田長政の命により妙心寺派に転派しました。
山門には、創建直後に後鳥羽上皇が下賜されたと伝わる「抹桑最初禅窟(ふようさいしょぜんくつ)」の勅額が掲げられています。扶桑とは日本のことで、聖福寺が日本最初の禅寺だということを伝えています。
15〜16世紀に行われた日明貿易(勘合貿易)では、聖福寺造営の遣明船が派遺されるなど対外交渉にも関わっていました。
最盛期には九州臨済宗最大の38の子院をもつ大伽藍を誇っていましたが、幾度かの戦火や太閤町割りなどによって現在では最盛期の1/4に縮小してしまいました。失われたものの中には栄西が開いた茶園も含まれています。
現在も続く厳しい修行の場
護聖院(開山堂)や幻住菴などの子院を含めて、禅宗の伽藍型式がよく保存されていることから昭和44年(1969)に国の史跡に指定されました。
現在、聖福寺の境内には山門、無染池、仏殿の大雄寳殿、鐘楼、堪忍地蔵、本堂、総門や勅使門と繋がる博多べいなどがあります。(注意;本堂は修行の場であるため一般の立ち入りは禁じられています。)鐘は高麗時代に作られたやや大ぶりの朝鮮鐘で、国の重要文化財に指定されています。
そのほか一般には公開されていませんが、六祖大鑑禅師像、高麗鐘、花崗班岩製蒙古碇石などの重要文化財をはじめとする多くの寺宝を所蔵しており、聖福寺の歴史の深さを知らしめています。
栄西禅師は中国からお茶の実を持ち帰り、背振山や聖福寺に種を蒔き、それが後に宇治などに広がったことから「お茶の祖」とも言われています。禅の厳しい精神性とお茶、茶の湯に不可欠なこのふたつが最初にもたらされたお寺です。
また「西の一休さん」とも称された仙崖和尚も聖福寺の住職をしていました。仙崖和尚は般若心経の一文「色不異空 空不異色」を○△□と絵に変えたことで有名な名僧です。
名 称/聖福寺(しょうふくじ)
所在地/福岡市博多区御供所町
宗 派/臨済宗 妙心寺派