名所旧跡:No.114 円応寺 (四季を感じて)
麗らかな春。武雄市の円応寺を訪ねました。
まず出迎えてくれたのは仏閣には珍しい鳥居のような石門でした。鳥居型の「白雲関」と書かれた石門は、中国風の波形で両端は渦を巻いています。
その石門をくぐると、参道を取り囲むように桜花が咲き乱れ、満開の桜の回廊が一直線に約200mも続いていました。坂道ですが桜並木を見とれながら歩くと、自然とゆっくり歩いてしまうので疲れは感じません。
だんだん大きく見えてるアーチ型の石門。「西海禅林」と書かれた第2の門は切妻型の屋根で両脇に石塀がついているのが特徴です。
曹洞宗復古運動の先駆者を育んだ禅寺
武雄出身の曹洞僧侶・月舟宗胡(げっしゅうそうこ/元和4年(1618)〜元禄9年(1696))は武雄の武士の家に生まれ、12歳で円応寺の華岳和尚に従って出家得度し、そののちは遊方して関東などに行脚しました。
31歳の時、丹波(兵庫県)瑞巌寺の衆寮で一日坐禅をしていたところに、修行僧の誦む「證道歌(しょうどうか)」を聞いて大悟(だいご=禅宗において根本的な悟りを得ること)したといわれています。
明暦元年(1655)38才の時、板倉周防守重宗の招きで三河長円寺(愛知県)の住持となり、寛文11年(1671)には大乗寺(石川県)の住持となりました。そして延宝8年(1680)に、禅定寺(京都府)の住持となり中興を果たしました。
月舟は、厳格な古規の復興と慈愛に満ちた接化(修行者の指導)で知られ、卍山道白(まんざんどうはく)、徳翁良高(とくおうりょうこう)など多くの優れた弟子達を育てました。道元への回帰を目指した月舟の影響は多大であり、彼が打出した人材が中心となって、いわゆる「宗統復古」が成就したことから、宗統復古の先駆者・曹洞宗中興の祖などとして高く評価されています。
なお、重要文化財「刺繍獅子吼文大法被(ししゅうししくもんだいはっぴ)」の「獅子吼」および両側の字は月舟の筆です。
円応寺は永正16年(1519年)開山された曹洞宗のお寺で、武雄鍋島家の菩提寺です。武雄領主20代から代々のお霊屋があり位牌堂もあります。
名 称/円応寺(えんのうじ)
所在地/佐賀県武雄市武雄町富岡