名所旧跡:No.115 筑後川昇開橋 (先代の叡知)
筑後川昇開橋は昭和10年(1935)にここ筑後川下流域に架けられました。
交通網がまだ発達していない当時、熊本など筑後以南の地域と佐賀・長崎方面を行き来するには、鳥栖を経由するしかなく、筑後川の存在もあり大変不便でした。渡し船でも、広大な川幅と有明海の大きな潮位の影響で流れも速く、人々はここでしばしば足止めされたそうです。
旧国鉄佐賀線はその問題を解決するため、鹿児島本線・瀬高駅と長崎本線・佐賀駅を結ぶ短絡線(総延長24km)の計画を打ち出し、この筑後川に鉄橋が架かる予定でした。
しかし、船舶会社や地元漁業関係者が船舶の航行に影響が出るため架橋に反対。度重なる協議の上、列車通行時以外は“船舶優先”という条件で合意に至り、昇降式可動橋が建設されたといいます。
架橋工事で一番苦労したのは掘削作業だそうです。ここでもやはり、有明海特有の干満の差の影響を受ける筑後川に悩まされたようです。
行方を無くしたこの建設物の“第2の人生”
しかし、国鉄民営化に伴い旧国鉄佐賀線は昭和62年(1987)に廃線。行方を無くしたこの建設物は、構造の珍しさから“町おこし”の一環で昇降式可動の歩道橋として整備されました。
可動する橋桁は長さ24m。この橋桁が9時から16時まで約30分間隔で昇降し、上昇時には通常より23m程高くなるので中型船までが通過できます。
かつて鉄道が運行されていたせいか、遊歩道の路面には線路の模様が描かれています。通行料は無料ですが、維持していくには地元自治体などの負担は少なくないようです。
現存する可動橋としても全国で最古の筑後川昇開橋。
可動する橋の部分は自重48t。可動時には両側にある20tのウェイト2つと、大川市側の8tの補助ウェイトを組み合わせ、モーターになるべく負担かけないよう設計されています。
名 称/筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう)
所在地/福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町