名所旧跡:No.123 城下町杵築 (古都を旅する)
「城下町杵築」の動画
国東半島の南に位置する大分県杵築市は、戦国時代から江戸時代まで続いた城下町で、小笠原氏によって町割が始まり、正保2年(1645)松平英親が城主となって町割が完成した3万2000石の城下町でした。
石畳の坂道が多く保存され、「勘定場の坂」「酢屋の坂」「志保屋の坂」「番所の坂」など13もの坂に名前があり、住民に親しまれていることから「坂道の城下町」ともいわれています。その坂の近くには、江戸時代の武家屋敷や古い町並みが今も残り、古(いにしえ)の情緒を醸し出しており、往年の杵築の姿を楽しむことができます。
この杵築には、消えかけた日本の城下町の面影がよく残っていました。
河口の台山に築かれた小さいながらにも堅固な城
町の中心から見て東側の高台に、3層の天守閣がそびえています。杵築城です。杵築城は、八坂川河口の台山に築かれていて、三方を海と川に囲まれた小さいながらにも堅固な城です。
築城は明徳4年(1393)と歴史は古く、木付頼直によって築かれました。天正14年(1586)に島津家久軍が攻め入るが、籠城の末、勝つには勝ったが、文禄2年(1593)に大友義統が豊臣秀吉に幽閉された時、木付統直は切腹して木付氏は滅びました。
その後、城主(藩主)は前田家、松井家、小笠原家と代わり、正保2年(1645)から松平家となり明治維新を迎えるまで、十二代の居城となりました。
現在の天守は昭和45年(1970)に模擬復元。内部は市立の資料館となっており、周辺の城山公園内には市内に散在していた国東塔などの石造物を集めた石造物公園があります。
全国に小京都といわれるところは、53市町あるそうです。
九州には8ヶ所あり、「杵築」のほかに、福岡県の甘木秋月、佐賀県の小城、 伊万里、熊本県の人吉、大分県の日田、宮崎県の日南飫肥(おび)、鹿児島県の知覧です。
名 称/城下町杵築(じょうかまちきつき)
所在地/大分県杵築市杵築
尚、同じ名所・旧跡にある“凛とした和を感じて”の「杵築・大原邸」も杵築の北台武家屋敷にあります。