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名所旧跡:No.128 軍艦防波堤 (歴史を感じる)

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軍艦がむき出しになった奇妙な防波堤

平成11年(1999)の台風被害でその姿を消しかけた、かつての旧日本海軍の「柳(初代)」。今はコンクリートで補強され、何とか存続しています。
 「柳(初代)」は大正期の旧式駆逐艦で、第一次世界大戦の地中海遠征隊(増援部隊)に参加し、ドイツ軍を相手にイギリス軍輸送部隊の護衛を行っていました。
 その後、昭和15年(1940)に除籍となり、のちの第二次世界大戦(太平洋戦争)には参加していません。戦争中は佐世保において係留され、主に旧制中学の軍事教練の時に利用されていたそうです。
 そして終戦。通常、敗戦国の戦艦や軍備は戦勝国に引き渡されたり、解体し復興の資材になるものですが、戦勝国への賠償艦として適当な状態ではなかった為、修理してしばらくは健在でした。
 しかし昭和23年(1948)、国内港湾整備のため残った軍艦は防波堤として利用されることになり、「柳」は戦艦「冬月」「涼月」とともに響灘防波堤として沈設されました。
 三隻とも防波堤上に喫水線から上の船体が上部構造物を撤去した状態で露出していたのですが、船体鋼材の無断切断・自然腐蝕・台風などで傷みが激しく、昭和37年(1962)「冬月」「涼月」はコンクリートで完全に覆い被され、埋立地から完全に姿を消しました。
 現在、目にすることができるのはこの「柳」だけなのです。

沖縄特攻作戦からの帰還船も埋没

第二次世界大戦(太平洋戦争)の終盤の激戦期でもある、昭和20年(1945)4月、沖縄特攻作戦として出撃した戦艦「大和」の直衛艦であった「冬月」「涼月」。この2艦もここ若松に沈設されています。
 「冬月」は戦闘可能な完全状態で帰還し、門司港で防空任務についていましたが、終戦の五日後、門司港内で触雷し、艦の後部を大破してしまいました。修理後は博多港で工作艦として働いていました。
 「涼月」は昭和20年(1945)4月7日の坊ノ岬沖海戦によって艦首に被弾し大破。通常航行(前進)が不能となりましたが、有名な後進帰還を成し遂げ、戦後は佐世保に繋留されていました。

洞海湾を横断する海底トンネル「新若戸道路」が建設させる現場の近くにあるため、現在は一般には自由に公開されていません。
 興味のある方は、工事事務所の職員さんに事情を話し、許可を頂いてから見学してください。

名 称/軍艦防波堤(ぐんかんぼうはてい)
所在地/福岡県北九州市若松区響町1丁目

「軍艦防波堤」には、17件の画像が登録されています。
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