名所旧跡:No.138 十和田湖 (自然味豊かな名所)
「十和田湖」の動画
周囲を600m〜1000m級の山々で囲まれた十和田湖は、太古の昔から幾度となく起こった火山活動によってできた二重カルデラ湖です。現在も活火山として指定されているとか。
その高い山たちは外輪山を成形し、湧き水はこの十和田湖に全て蓄えられ、子ノ口から流れる奥入瀬川のみによって太平洋へと流れていきます。
湖なのに2つも半島(中山半島と御倉半島)をもつ周囲約45kmの十和田湖は、ローマ字の「E」が右に60度位回転したような形をしています。
最大深度327mで日本第3位の深さを誇り、湖水は透明度が高いことも有名です(12m)。
湖岸には木々が湖面に落下しそうなほど急な断崖が多く、変化に富んだ風景をつくりだしており、年間約200万人以上もの観光客が訪れる東北有数の観光地です。(昭和11年(1936)には国定公園指定されました。)
氷に閉ざされる十和田湖を変えた和井内貞行
和井内貞行は明治14年(1881)湖畔の小坂鉱山に赴任し、鉱山労働者の食糧事情改善のため、十和田湖の養殖事業に乗り出しました。
明治17年(1884)頃から約12年間鯉を放流しましたが失敗。明治30年(1897)鉱山を退職して本格的に養魚事業に取り組み、カワマスで試みましたがまたしても失敗。
そして三度目の挑戦。全財産をはたいて支笏湖のヒメマスの卵を購入。孵化後5センチほどに成長した稚魚5万匹を明治36年(1903)の春に放流。そして2年半後の明治38年(1905)の秋、ヒメマスが産卵のため大挙して浅瀬に押し寄せてきたのです。
翌明治39年(1906)には「和井内孵化場」が完成。さらに明治44年(1911)には湖に遊覧船を就航させるなど観光開発にも力を入れ、大正5年(1916)に旅館をオープン。その後も和井内は、生涯を十和田湖開発に捧げ、大正11年(1922)65歳でこの世を去りました。
十和田湖畔の美しい砂浜“御前ヶ浜”にたたずむブロンズ像「乙女の祈り」。この像は高村光太郎の晩年の傑作で、十和田湖のシンボルとなっています。
名 称/十和田湖(とわだこ)
所在地/青森県十和田市十和田
「特別名勝および天然記念物」