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名所旧跡:No.142 岡城址 (歴史を感じる)

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「岡城址」の動画

新緑期の岡城址
岡城址に降る晩秋の雨
秋雨と霧の岡城址

難攻不落の岡城

稲葉川と白滝川(ともに大野川の支流)の合流地点で、しかも川岸から切り立った断崖絶壁の台地上では、石垣が横へ横へと拡がりをみせています。
 ここ岡城は別名「臥牛城」ともいわれ、日本三険城の1つに数えられています。城壁(石垣)の高さ、城全体の大きさから、その防御力の高さが容易に想像できます。
 この岡城は、文治元年(1185)、源氏と平家の戦いにおいて、九州における平家滅亡に貢献した「豊後武士団」棟梁・緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が築城しました。源頼朝に命を狙われた、義経を迎え入れるために築城されたと伝えられています。しかし義経は東北の地で息絶え、惟栄の思いは叶わず幻と消え去ったのでした。
 その後この城が歴史上に出てくるのは天正14年(1586)。時の城主・志賀親次が、薩摩の雄・島津義弘率いる九州最強の軍勢に取り囲まれ、壮絶な攻撃を受けつつも守りきりました。篭城策ともなれば容易には攻め落とせないこの岡城は、難攻不落の城としての名声を得ました。このときわずか18歳だった親次は、その戦いぶりに豊臣秀吉が感状を与えたといわれています。

♪春高楼の花の宴

文禄3年(1594)からは中川秀成が岡藩7万石の城主となり、堅牢な城をさらに当時の築城技術をもって今の城郭に整えました。そして明治を迎えるまでの約280年間13代に渡り、中川氏の居城となりました。
 しかし、明和8年(1771)に城下町で起こった火事が、城にまで延焼し焼失。明治4年(1871)、全国の名城と同じように城郭建造物は全て取り壊され、城は荒れ果てる…。
 そして明治34年(1901)、荒廃したかつての名城は全国に知られていくようになりました。作詞:土井晩翠、作曲:滝廉太郎の「荒城の月」が中学唱歌で採用されたからです。
 ♪春高楼の花の宴 巡る盃かげさして
  千代の松が枝 わけ出でし 昔の光いまいずこ
この曲は滝が12歳から2年間暮らし、その後も故郷として何度か帰省した竹田・岡城址をモチーフに創ったと言われています。

荒城の月が有名で観月の名所でもありますが、桜の名所として知られていくようになりました。

名 称/岡城址(おかじょうし)
別 名/臥牛城
所在地/大分県竹田市竹田岡
    【国指定史跡】
    【日本100名城】

「岡城址」には、140件の画像が登録されています。
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