名所旧跡:No.155 臥龍山荘 (凛とした和を感じて)
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伊予国大洲藩、歴代藩主の遊賞地
「槍の勘兵衛」と言われた渡辺了(通称;勘兵衛)が、文禄時代(1592〜1595)、肱川河畔に庭園を造り、3代藩主・加藤泰恒が「吉野の桜」、「龍田の楓」を移植して、この地に伊予国大洲藩歴代藩主の遊賞地をつくりました。
そこから淵向かいにある小高い丘(蓬莱山)を見た泰恒公が、「龍の臥す姿に似ている」ことに気付き、その淵を“臥龍淵”と命名したそうです。
1人の貿易商の情熱が注がれた数奇屋造りの三建造物
幕末までの栄華も廃れ、荒れ果てていたこの地を、明治後期、貿易商であった河内寅次郎が巨費を投じて大改修しました。
構想から10年。三千坪の山荘・臥龍山荘が完成しました。
(臥龍院(木造茅葺寄棟平家)・知止庵(一文字瓦葺平屋)・不老庵(茅葺寄棟平家))
臥龍淵を足下に見る断崖上に建っている「不老庵」は、生きた槇の木を使った「捨て柱」を基準に、設計・建立されているそうです。
また、一番小さい「知止庵」は、かつては浴室だったものを、昭和24年(1949)、茶室に改造されたそうです。
名 称/臥龍山荘(がりゅうさんそう)
所在地/愛媛県大洲市大洲