名所旧跡:No.160 大内宿 (歴史を感じる)
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会津西街道の宿場町「大内宿」
会津は幕末までは現福島県の中心といっても過言がなく、文化・産業・流通で最も発展した地でした。
その会津若松城下と日光神領地今市宿を結ぶ会津西街道(総延長32里(132km))は、会津から江戸に至る最短ルートとして、政治的・経済的に大変重要な街道でした。豊臣秀吉、伊達政宗、藩祖保科正之(徳川家光の弟)、吉田松陰、イザベラ・バード(英国の女性旅行家)など多くの歴史上の人物が往来しています。その街道の宿場町「大内宿」も、当時は大変賑わっていたようですが、倒幕とともに、街道や大内宿は忘れられたように、静かな農村へと変わっていきました。
しかし明治になってからも、宿場町の家々は宿を運営しながら農業を営んでいたため、町そのものが廃れてしまうことはありませんでした。
重要伝統的建造物群保存地区に選定
全長約450mの往還の両脇には湧き水の水路が2本引かれ、夏にはその湧水路で野菜を洗い、その野菜を冷蔵庫代わりに水につけたままという光景を目にします。
大内宿には今も約50軒ほど寄棟造り茅葺屋根の民家群が建ち並んでおり、伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているものとして昭和56年(1981)、重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
現在も茅葺き民家の縁側では、会津木綿を使った袋物を売る店、土鈴など郷土玩具を並べる店、自家製の味噌や山菜の佃煮を売る店、手打ち蕎麦屋など、江戸時代にも負けない賑わいを見せています。
名 称/大内宿(おおうちじゅく)
所在地/福島県南会津郡下郷町大内