名所旧跡:No.32 福岡城址 (歴史を感じる)
再生にはFlash Playerが必要です。
由緒ある丘陵地に築城され福岡城
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い終盤で、家康側についた黒田如水と黒田長政父子は、中津12万石から筑前52万石に加増されました。
黒田家は1度、それまでの藩主小早川家の居城・名島城に入城したのですが、手狭で増築する土地もなかったことから移転地を探しました。
博多の西に位置し、博多湾も一望できる丘陵地(警固村福崎)に城を構えることにしました。
もちろん当時は、遣唐使の時代、唐などの異国人の迎賓館「鴻臚館」があったことなど、知る人もいなかったはずです。
徳川家に配慮したつくり
黒田家は慶長6年(1601)から約7年かけて、慶長12年(1607)に福岡城を築城しました。
黒田家の源が備前の「福岡」であったことから、福岡城と名付けられたということです。
天守閣はなく、47の櫓があったといわれています。しかしある説には、天守閣は1度造ったが、徳川家に配慮して取り壊されたともいわれています。
時は流れ、福岡城は城主が黒田家から変わることなく明治維新を迎えました。
戦後は福岡城趾は大濠公園、平和台(球場・陸上競技場)、裁判所、美術館などに整備されました。
西鉄ライオンズの本拠地だった平和台球場は、現在、鴻臚館発掘調査のため取り壊され、福岡yahoo!JAPANドーム(福岡ソフトバンクホークスの本拠地)として、地行浜に移転しています。
名 称/福岡城址(ふくおかじょうし)
所在地/福岡県福岡市中央区城内
形 式/平山城
遺 構/天守台、櫓門、櫓、石垣、土塁、曲輪、堀
別 名/舞鶴城