名所旧跡:No.36 名護屋城跡 (歴史を感じる)
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明国遠征の拠点として
東松浦半島の北端にあるこの城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の本陣として、僅か6ヶ月の突貫工事で竣工しました。
加藤清正、小西行長、黒田長政らを中心に、九州の諸大名を総動員し、本丸・二の丸・三の丸・遊撃丸・弾正丸・台所丸・東出丸・水平郭・山里丸・城門・堀等を完成させました。
幻の巨城
築城に伴う工事は、大阪城を築いた大名および大工等が手がけたもので、秀吉は名護屋城を「楽第に劣らぬ華麗な城である」と称えました。その大きさは、当時の大阪城に匹敵する巨城であったといいます。
秀吉亡き後、廃城となり解体されましたが、その大部分は、唐津城の築城資材として転用されました。
1637年の島原の乱の時には、天守台や石垣などは徳川幕府により打ち壊されましたが、周辺の大名屋敷跡は多数残されています。
名護屋城は現在、鎮西町の町政により美しく整備されており、この地には他にも、吉野ヶ里遺跡や、七ツ釜・伊万里・唐津・有田の窯元など、観光名所が沢山あります。
名称/名護屋城跡(なごやじょうあと)
場所/佐賀県唐津市鎮西町名護屋