名所旧跡:No.43 観世音寺 (筑紫野紀行)
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80年もの歳月をかけ、母の冥福を念願し建立した寺院
「白村江の戦い」の3年前にあたる 斉明6年(660)、倭(日本)と友好関係にあった百済は唐と新羅の連合軍によって滅ぼされました。
その翌年(斉明7年(661))、百済を助けるため九州に下っていた斉明天皇が朝倉橘広庭宮で亡くなられました。
斉明天皇の子である中大兄皇子(のちの天智天皇)が、母の菩提を弔うために太宰府に観世音寺建立を発願。その後約80年かけて天平18年(746)に完成しました。
かつては七堂伽藍を配し、講堂・金堂・五重塔などの建物がいくつも建ち、天平宝字5年(761)には鑑真によって戒壇院も境内に建立した大寺院でした。
その後、火災や台風にあい創建時の建物は失われましたが、江戸時代に筑前藩主黒田家によって講堂と金堂などが再建されましたが、元禄16年(1703)、戒壇院は藩命によって博多禅寺・四ヶ寺の管理下におかれ、観世音寺と切り離されました。
日本最古の梵鐘
天武10年(681年)に鋳造さてたという梵鐘は国宝で、日本最古のものと考えられています。鐘の音は「日本の音風景百選」の1つにあげられ、毎月18日にその音色を聴くことが出来るそうです。
また、京都の妙心寺の梵鐘とここ観世音寺の梵鐘は兄弟鐘と云われています。
講堂の東側に建つ宝蔵には、平安時代から鎌倉時代にかけて作られた、巨大な仏像を含め18体の仏像・狛犬・舞楽面などが収められています。
名 称/観世音寺(かんぜおんじ)
所在地/福岡県太宰府市観世音寺
宗 派/天台宗
「日本の音風景百選」