名所旧跡:No.50 鎌倉 (古都を旅する)
治承4年(1180)、頼朝が伊豆韮山で平家追討の挙兵をし、安房より4万の大軍で鎌倉入し、町は大きく変わることとなります。
その後、頼朝は諸国に守護・地頭を置き、「いざ、鎌倉」という言葉が生まれるほど諸国とよい関係を築きあげました。そして、「いい国つくろう鎌倉幕府」で知られる鎌倉幕府を建久3年(1192)に誕生させ、頼朝は征夷大将軍となり、武家社会が始まりました。
頼朝はまず元八幡を現在の鶴岡八幡宮の地に移して町づくりの中心にしました。そして御家人を監督する侍所、行政を担当する政所、裁判所の役割をはたす門注所をもうけ、政治体制を着々と整えて、権力の強化を図っていきました。また、この時代に多くの寺院が建立されました。
そして、源氏から北条氏へと継がれながらも、鎌倉幕府は41年間で終焉を迎えることとなりました。が、この頼朝が創った武家社会は明治維新まで約670年間、武家政治の基礎となりました。
江戸時代後半から「古都・鎌倉」として観光地化
元弘3年(1333)幕府は滅び、建武3年(1336)足利尊氏が京都に室町幕府を開いた後、鎌倉には東国10か国を支配する鎌倉府が置かれていましたが、康正元年(1455)、鎌倉府・足利成氏失脚後は農業と漁業の村になってしまいました。
時は流れ、江戸時代に入ると社寺は復興していき、17世紀後半には徳川光圀が「新編鎌倉誌」を編み、江戸時代の後半には鎌倉図絵なども多く出回るようになりました。
鎌倉の歴史的遺産は平成4年(1992)に世界遺産の暫定リストに掲載されました。
由緒ある寺院・仏閣・寺院の数々、切通しや鎌倉を取り巻く山稜など、「武家の古都・鎌倉」は世界的にも注目を浴び始め、年間約2,000万人の観光客が訪れるといいます。
名 称/鎌倉(かまくら)
所在地/神奈川県鎌倉市