名所旧跡:No.57 犬山城 (歴史を感じる)
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「犬山城」の動画
戦国時代の動乱と共にめまぐるしく変わる城主
犬山城は文明元年(1469)室町幕府管領、斯波義郷の家臣、織田広近が築いた。木曽川に沿った台地にありましたが、天文6年(1537)、5代目の織田与次郎信康が、断崖の丘上に本丸を移築したといいます。
天文16年(1547)、岐阜の稲葉山城で信康が戦死。その子織田十郎左衛門信清が城主となったが、織田信長に攻められ落城し、その後、めまぐるしく城主が入れ替わっていくこととなりました。
落ち着いたのは江戸時代に入ってからで、元和3年(1617)徳川藩の家老格であった成瀬隼人正正成が城主となってから9代にわたり、この地を治め明治という新しい時代を迎えました。
現存する日本最古の天守閣
明治4年(1871)、9代目のとき廃藩置県で廃城となり、犬山城のほとんどは取り壊されましたが、天守と門の一部はなんとか残すことができました。
しかし明治24年(1891)には、推定マグニチュード8.0の濃尾地震で天守の一部と、櫓や城門が壊れ、明治28年(1895)旧犬山藩主正肥が城を修理するという条件で、成瀬家は城を譲りうけました。
平成16年(2004)4月、財団法人「犬山城白帝文庫」が設立され、城の所有者は成瀬家から財団法人になりました。
名 称/犬山城(いぬやまじょう)
所在地/愛知県犬山市犬山
形 式/平山城
遺 構/天守、櫓、門、石垣、堀、曲輪
別 名/白帝城
全国に4つしかない国宝指定の城の一つ
(犬山城、姫路城、松本城、彦根城)