名所旧跡:No.68 ザルツブルク歴史地区 (欧州の名所)
「ザルツブルク歴史地区」の動画
「白いダイヤモンド」といわれた「塩」の産地として栄えました。採掘は紀元前から始まったと云われいます。ローマ帝国滅亡後、この荒れ地を蘇らせたのはルドルフ司教。
そして10世紀以降、莫大な富を得た大司教たちはこぞって重厚な様式の聖堂や宮殿を建てました。
「大聖堂」をはじめ、「大司教宮殿」、「聖ペーター聖堂」、「ホーエンザルツブルク城」、「ミラベル宮殿」、「三位一体聖堂」など…。目指していたのは“北のローマ”で、その中心だったのが時の大司教ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウでした。
大聖堂が創建されたのが774年。その後8回目の焼失(1598年)でディートリヒは『バチカンのサン・ピエトロ大聖堂をしのぐ壮麗なものを造ろう』と発案したとか。
そして建設が進み1628年に完成しましたが、大司教もディートリヒから2代変わる間に、壮麗な大聖堂の計画も規模を縮小され、現在の建物になったと云われます。
大聖堂の内部は、6000本のパイプをもつパイプオルガンも立派でした。
丘の上にそびえる城塞
1077年に建てられた質素な館は、他国の侵攻対策の隠れ家的な役割でした。これがホーエンザルツブルク城の前身です。
その後、塩の富を得た歴代の大司教は増築(防衛のための補強)を繰り返し行い、15世紀末には中欧一の規模を誇る「城塞」に生まれ変わっていました。
ここから見たザルツブルク街並みの眺めは格別で、今日では一般公開もされ、クラッシックコンサートも催されています。
神童モーツァルトの生誕地としても有名なザルツブルク。17歳まで住んでいた生家は旧市街のゲトライデガッセ通りにあり、17歳から25歳までの住居は新市街のマカルト広場付近にあります。
また、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地としても有名です。修道院は「ノンベツク女子修道院」。バスを待った「大司教の馬の水飲み場」。ドレミの歌を唄った「ミラベル宮殿」などがそうです。
名 称/ザルツブルク歴史地区(ざるつぶるくれきしちく)
所在地/オーストリア ザルツブルク州 ザルツブルク旧市街ほか
世界遺産 登録年/1996年
世界遺産登録種別/文化遺産