名所旧跡:No.7 銀閣寺 (京都紀行)
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銀閣寺造営にその後の生涯を託した義政
足利八代将軍義政が祖父義満の建てた金閣にならい、文明14年(1482)、大文字山の麓に山荘東山殿を造りました。義政の死後、遺言により禅寺に改められ、彼の法号である慈照院にちなんで慈照寺と名づけられました。
四十代で政治の世界から退いた義政が、その後十年に満たない生涯を託して造営したこの東山殿は、華やかな北山文化とは対照的に簡素で深みのある東山文化を代表するものです。
わび・さびの世界漂う東山文化の代表格
様々な文化芸術の舞台となった日本最古の書院造りの東求堂、善阿弥の協力のもと枯山水庭園と池泉回遊式庭園の様式をもつ銀沙灘・向月台で有名な庭園、柿葺き屋根の観音殿(銀閣)、それぞれの簡素な美がひとつとなってつくりあげたわび・さびの世界は現代の美意識にも多大な影響を与えています。
正しくは「東山慈照寺(トウザンジショウジ)」と言い、臨済宗相國寺派の禅寺です。
名 称/銀閣寺(ぎんかくじ)
所在地/京都市左京区銀閣寺町
平成6年(1994年)、「古都京都の文化財」として日本で5番目となる世界遺産に登録されました。銀閣寺もその一部として知られています。
世界遺産 登録年/1994年(平成6年)
世界遺産登録種別/文化遺産