名所旧跡:No.8 実光院 (京都紀行)
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様式美にとらわれない庭園
京都大原にある「実光院」は大正8年(1919)に延暦寺別院勝林院の塔頭である普賢院と理覚院を併合してできた塔頭寺院で、本尊の地蔵菩薩の他に阿弥陀如来、毘沙門天、不動明王、十種供養菩薩などが祀られています。
客殿の南に池泉鑑賞式の旧普賢院庭園を、西側には池泉回遊式の旧理覚院庭園が配置されています。
理覚院が実光院に併合された後、荒廃していた土地を近年現住職が作庭し、杉以外の庭木を低く仕立てて西側に広がる大原の山々を借景に取り入れることによって、明るくおおらかな山里の雰囲気にとけ込ませているそうです。
また昭和50年(1975)には、西北隅に茶室「理覚庵」(りかくあん)が設けられています。
日本音楽の源流といわれる声明の発祥地
長和2年(1013)、唐から仏教儀式音楽である「声明」(しょうみょう=仏教音楽)を伝えたのは比叡山の僧・慈覚大師円仁。その9代目の弟子にあたる寂源が、天台声明(てんだいしょうみょう)を伝承するために勝林院を建てられたといわれています。
声明は謡曲、浄瑠璃、長唄等の源流であり、日本音楽のルーツともいわれています。
この他の見所としては、住職が声明研究のため収集した楽器。江戸中期、狩野派の三十六歌仙画像。夏の数ヶ月以外、花が咲き続ける不思議な桜「不断桜」があげられます。
名 称/実光院(じっこういん)
所在地/京都市左京区大原勝林院町