名所旧跡:No.84 与論島 (南国の情緒)
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「与論島」の動画
奄美群島最南端・与論島
東洋の海に浮かぶ真珠「ヨロン島」。
年中咲き乱れる熱帯の美しい花たちと、サンゴ礁のリーフに囲まれたエメラルドグリーンの海などが、貴方を出迎えてくれます。
産業は農業が中心。さとうきびを基幹作物に、野菜や花、畜産等の複合経営が行われています。もちろん自然豊かな観光名所もたくさんあります。
奄美諸島の歴史
大宝元年(701)筑紫大宰府の管轄の日本の領土であることが分かっています。しかし天長元年(824)、経済上の理由から大宰府の管轄外に放棄され、按司(あじゅ)という首長が治める階級社会が形成された時代が約440年続きました。その後、文永3年(1266)、現在の沖縄本島を中心とした琉球王朝に自ら英祖王に納貢し、約340年間安泰の時代が続きました。
時は流れ、慶長14年(1609)、島津藩の琉球征服の結果、与論以北の諸島は琉球から分割されて薩摩の直属となり、明治4年(1871)の廃藩置県に至るまでの約260年間、封建政治の植民地政策に島民は苦しみました。
西暦1405〜1416頃琉球北山王の三男王舅(オーシャン)が与論城を築城したが、中北山王滅亡のため築城中止されました。
今も尚、未完成城跡として天然の三層断崖、伏龍を形どった200m余の石積が残っています。
名 称/与論島(よろんとう)
所在地/鹿児島県大島郡与論町(奄美群島に属する)