名所旧跡:No.89 西の京・山口 (古都を旅する)
再生にはFlash Playerが必要です。
「西の京・山口」の動画
大内弘世が感銘した“京の街並み”を再現させた山口
大内氏24代目の弘世が天平15年(1360)頃、憧れの京の都を模して整備した山口市。街は碁盤の目のように整然と造り替えられました。
山口県のほぼ中央に位置する山口市には、あちこちから縄文式・弥生式土器、古墳が発掘されることから、原始時代から集落があったことが推測されています。
鎌倉時代には、荘園として大内氏が支配するようになり繁栄を極め、約200年間続きました。が、天文20年(1551)クーデターにより政権は崩壊。戦国武将・毛利氏が入国し、明治維新を迎えるまでの約300年間、山口を治めることとなった。
山口市のシンボル「国宝・瑠璃光寺五重塔」
応永6年(1399年)の応永の乱で、室町幕府の将軍足利義満に敗れ、討死した大内氏25代目の義弘の菩提を弔うため、弟である大内氏26代目である盛見が、嘉吉2年(1442)に建立した塔です。
檜皮葺き屋根で高さ約31mを誇り、上層階にいくほど細くなるその優雅で気品ある姿は、見る人を魅了します。
他にも雪舟庭をもつ常栄寺をはじめ、洞春寺、龍福寺、八坂神社など大内氏の時代を偲ばせる名所がたくさんあります。
天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが5ヶ月滞在したことで、ザビエル記念聖堂があります。これはサビエル来訪400年を記念して、昭和27年(1952)に記念聖堂が建立されたものです。 しかし平成3年(1991)焼失しましたが平成10年(1998)に再建されました。
また詩人・中原中也は、白狐の伝説で知られる市内の湯田温泉の出身です。
名 称/西の京・山口(にしのきょう・やまぐち)
所在地/山口県山口市
「日本の音風景百選」(SLやまぐち号)