名所旧跡:No.90 城塞都市・ローテンブルク (欧州の名所)
「城塞都市・ローテンブルク」の動画
ドイツの7大街道の「ロマンティック街道」「古城街道」が交差する街。ローテンブルクは、周囲を全長3.5kmの城壁にぐるりと囲まれた人気の観光地です。
この街の魅力はなんと言っても市庁舎から見る素敵な街並み。高さ60mの鐘塔の展望台からは、城壁に囲まれた市内や周囲の穏やかな田園風景が一望でき、まさに中世の姿がそのまま見渡せます。
観光資源であるこの風景は1142年から続いていると云われています。12世紀に築かれたホーエンシュタウフェン家の城下町から始まり、交易で栄えた後、1274年にルドルフ1世が神聖ローマ帝国直属の自由都市に認可され約300年繁栄しました。
しかし1618年からの三十年戦争の争いに敗れ、1803年にはナボレオンによるヨーロッパ改新により自治権を失い、領土の半分をヴュルテンベルクに削除され、荒廃化が進み見捨てられたも同然の状態が約100年続いたと云います。
天災や戦争などを乗り越え今日まで中世の街並みを残せたのは、この“見捨てられた”というのが理由だそうです。
その後の第二次大戦での被害が大きく、街の40%以上を消失しました。しかし全世界からの寄付や援助で見事、再建・復興を果たしました。
ローテンブルクの破壊をたった1人で救った市長
1446年に建てられた市議会議員の宴会用の館の壁には、1910年に取り付けられたからくり時計があります。
『1618年からの三十年戦争でローテンブルクは何度も窮地にたたされました。そして1631年、プロテスタント側についたローテンブルクの街は、カトリック側皇帝軍の将軍ティリー率いる大軍の攻撃についに陥落した。激しい抵抗に怒った将軍ティリーはただちに、街を破壊と市参議院たちの斬首を命じた。民衆は何とか将軍の怒りをなだめようと考え、皇帝軍を大歓迎の意として将軍に最良のフランケンワインを差し出した。大のワイン党だった将軍は一つの難題を思いつく。「もしこの大杯のワインを一気に飲み干す者がいたら市を救おう」。この難題を果たして市を救ったのが老市長ヌッシュであった。彼は約3リットルものワインを十分間で飲み干し、将軍は街の破壊と斬首を取り止めた。』
という。「マイスタートゥルンク(見事な一気飲み)」で街の危機を救ったヌッシュ市長の功績をたたえ、その伝説的な史実物語をからくり時計で再現しています。
「中世の宝石」とも呼ばれてる、タウバー川の河畔に栄えた城塞都市ローテンブルクには、見所がたくさんあります。
聖ヤコブ教会、クリスマスミュージアム、マルクト広場(市庁舎と市参事宴会場)、ブルク庭園…など。
あっ、中世犯罪博物館には、昔の拷問道具などがあります。勇気のある方はどうぞ。
名 称/城塞都市・ローテンブルク(じょうさいとし・ろーてんぶるく)
所在地/ドイツ バイエルン州 ローテンブルク