名所旧跡:No.83 戒壇院 (筑紫野紀行)
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鑑真が命がけで伝えた戒律
天平宝字5年(761)、聖武天皇の勅願により建立された戒壇院。
そこでは「都に出向かなくても授戒できるように」と、唐の高僧・鑑真によって観世音寺の敷地内で授戒されるようになりました。
鑑真は5度の渡航に失敗し、盲目になりながらも我が国に帰化し、戒律を伝えました。
鑑真はこのほかに、奈良東大寺と、下野(栃木)の薬師寺に戒壇を創設しました。
太宰府観世音寺・戒壇院を含むこの3つの寺は「天下の三戒壇」といわれています。
僧侶の守るべき規律=戒壇
「葷酒肉 境内に入るを 許さず」
匂いがきつく精の出る野菜・酒・肉は修行を妨げるため、僧侶の修行に不必要といわれていました。また、清浄な境内に入ることを認めていなかったのです。
そして永く九州の僧尼たちの登壇授戒の道場として継承されていました。
その後、元禄16年(1703)、藩命によって博多禅寺・四ヶ寺の管理下におかれ、観世音寺と切り離されました。(その時、天台宗から臨済宗に変わりました。)
現在は博多聖福寺の末寺の禅寺となっています。
名 称/戒壇院(かいだんいん)
所在地/福岡県太宰府市観世音寺
宗 派/臨済宗