名所旧跡:No.6 金閣寺 (京都紀行)
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観光地京都の先頭に立つ金閣寺
京都市最北であるこの地を気に入った足利三代将軍義満が応永4年(1397)に西園寺公経からこの地を譲り受け山荘北山殿を造りました。義満の死後、遺言により彼の法号である鹿苑院にちなんで鹿苑寺と名づけられました。
昭和25年(1950)に同寺のひとりの僧の放火により全焼した話は有名ですが、その後再建され、現在も国外問わず訪れる人が後を絶ちません。
さまざまな文化の融合した室町時代の代表建築物
神殿造り・武家造り・唐風の三層からなる楼閣(金閣)は、公家文化・武家文化・仏教文化を見事に調和させています。
また、衣笠山を借景に金閣を中心とした池泉回遊式庭園は室町時代の北山文化を代表する名園です。義満が諸大名から集めた希代の見物といわれた名木、名石を配したこの庭園は、極楽浄土をこの世に表したものと言われています。
正しくは「鹿苑寺(ロクオンジ)」と言い、臨済宗相國寺派の禅寺です。
名 称/金閣寺(きんかくじ)
所在地/京都市北区金閣寺町
平成6年(1994年)、「古都京都の文化財」として日本で5番目となる世界遺産に登録されました。金閣寺もその一部として知られています。
世界遺産 登録年/1994年(平成6年)
世界遺産登録種別/文化遺産