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秋の甲府・武田神社と躑躅ヶ崎館 (参道と鳥居・拝殿と本殿 甲陽武能殿・水堀と石垣・土塁と空堀 虎口と北門と石積み・背戸の曲輪と要害山)
武田神社は山梨県の甲府市にあって、甲斐武田氏が3代60年余りにわたって国政を執った躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)の跡地に建てられています。甲斐の名将・武田信玄公を祀った神社。境内には当時からの堀、土塁、石垣、古井戸などが数多く残っています。
武田通りと名付けられた長い一本道の先にあるのが武田神社へ。まず目立つのが神社の鳥居。高さ7m、笠木の長さ9.8m、中央部に「武田八幡宮」と書かれた額が掲げられています。参道正面にある水堀に架かる朱塗の橋「神橋」は、石垣を改築して架けられたものとのこと。朱橋を渡って少し歩くと随神門へ。境内の石垣と石段、参道側の石鳥居は、県指定文化財になっています。
拝殿は大きな唐破風の向拝が突き出した入母屋造りで、屋根は檜皮葺。煌びやかな拝殿の内部を通して、幣殿か本殿の飾りなどが見通せました。社殿の右側には信玄公が使ったという四角の井戸があります。また左側にある庭園には、信玄公の息女が誕生の際、産湯に使用された事から姫の井戸と名付けられた井戸もあり、その近くには水琴窟や甲陽武能殿(能舞台)があって、お互いに風情を高めていました。
次に神社を出て躑躅ケ崎館跡へ。堅い土塁や堀跡、石垣、枡形、曲輪、堀切などが残っていて・・・、その周りは多彩な木々が繁っていました。その一つである北側には、主郭に至る通路に沿って石積みを備えた枡形虎口。武田氏の興亡をしのぶことができました。山腹には曲輪群が広がり、収穫を終えた棚田となっていました。そしてその背後には、山頂に城もあったという要害山がそびえ、武田氏の城郭の規模が広大であったことを知ることが出来ました。(潮 信輔)
- 登録日
- 2025年11月16日
- 更新日
- 2025年11月16日 08時 07分
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